昨日の投稿で、書き残した事を思い出した。
文春などの、週刊誌の不倫報道。
おそらく文春砲の代表事例がベッキーの事だと思うけど、
その時は、週刊誌側の方を「正義」として、一般には比較的、
受け入れられていたと思う。
でも、あれって、文春を応援というよりも
ベッキーに対する妬みやそねみが強かったのが
後押ししていたんじゃないだろうか。
だってその後、他の有名人たちの不倫報道が続々とあったけど、
その対象によって、報道やネットの盛り上がり方がマチマチだった。
本当に「不倫を絶対ゆるさん!」というなら、
(不倫した人たちの背景は様々だろうけど)
それでももっと世間は沸くはず。
文春には、そういうのを分析して考える人がいなかったのだろうか・・・
もっとも、仮にいたとしても、あの”大勝利”の中ではかき消されるのかもしれない
(それからもしばらく、「文春砲」がもてはやされていたし)
道義的に許せないとしても、それは当人たちの
関係性(家族も含めて)もあるのだから、放っておいたら?
これが例えば、法律に触れる事(覚醒剤とか脱税、汚職)であれば(少なくとも)
当事者たちを追求していけばいいのだけど。
今後週刊誌は、自分たちのポジションをどうしていくのだろう・・・